好きな方に自分の想いを伝えることができません。
普段の豪快さから、知人も想像できないようですが、私は自分でも恋愛に関してはおかしいと思うほどの恥ずかしがり屋です。
好き・愛している・一緒にいたい、客観的にみれば素晴らしい言葉だと思うのですが、自分がこれらの言葉を言っている、もしくはその意思表示をしていると想像しただけで体がむずがゆくなり、酷いときは吐き気すらします。
これまでも素晴らしい方々との出会いがありそのうちの幾人かとはまだつかず離れずのお付き合いがあります。
しかしその大切な一言が言い出せないまま、当然ながら非常に親しい友人以上の関係にはなりません。
一方で、時に一回りも下の方とデートを繰り返している、このパターンも、好意の意思表示をするリスクを逃れるために「学生気分で気軽にプラトニックなお付き合いができる年齢」を意識のうちに選択しているためのような気がします。
パートナーとして人生を過ごしたい方とは寄り添えないまま違う方とデートするという矛盾にも疲れてきました。
また何よりも、現在のデート相手の好意を(私に対して友情以上のものを感じてみえないことを願いますが)利用している自分に嫌気がさします。
私は何を恐れているのでしょうか?
プライドが高いだけなのでしょうか?それとも人を愛するリスクを背負いたくないと考える無精者なのでしょうか。
よく「清水の舞台から飛び降りるつもりで」告白しなさいと言いますが、私はまだその舞台の上にすら上っていません。下でぐずぐずしたままお茶を濁している人間に助言も何もあったものではありませんが、客観的に私の状態がどのように見えるか、示唆頂ければ幸いです。
好きといえばよかった、そんな後悔だけはしたくありません。
宜しくお願いいたします。
結婚情報サービス・サンマリエのベテランスタッフ。
日々多くのカップルを見届けている、いわば『恋のプロフェッショナル』。長年たくさんの会員さんの恋の悩みにお答えしてきたノウハウを存分に活かし、あなたのご相談に親身にお答えいたします。
この質問に関する回答
恐らく、あなたが言うように「プライドが高い」ということも「愛するリスクを背負いたくない」ということも今のあなたに当てはまっていることなのでしょう。
でも現在のデート相手に対しては、プライドとかリスク云々よりも、単純に好きという気持ちが盛り上がっていないだけだのことだと思います。
もし、その子に対して心苦しいのであれば、今のご自分の気持ちをきちんとお話をすれば良いだけの話です。
恋愛は「清水の舞台から飛び降りる」なんて身構えたものではなく、もっと自然に、気負いなくするものです。
たわいない事の連続が愛に繋がるんだと思います。
長年、結婚を望む人たちの為の仕事をしてきた私から見れば、あなたはまだ一生のパートナーを心から欲しい時期まで来ていないように思います。
本当に心からそんな人を望むとき、自然にあなたの傍にいる人を愛してあげればいいだけのことです。